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福島ケルン
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 1960年10月10日、犬の世話をするために外に出た第4次隊の福島隊員は、吹雪の中方向を見失い、帰らぬ人となった。
 半世紀に及ぶ南極観測隊員の中で唯一の犠牲者である福島隊員の事故を後世に伝えるべく、最後に姿が確認できた場所にケルンが建っている。
 毎年越冬を始めるに当たり、隊員がケルンの前で慰霊を行い、観測期間中の無事を願うのが慣わしになっている。
 今年の夏作業のひとつとして、ケルンの案内看板の設置作業があったが、先日無事に完成し、除幕式を行なった。
 南極の史跡にもしていされているケルンのいわれが、日本語、英語、フランス語、スペイン語、ロシア語の5ヶ国語で表記されている立派なものだ。
 越冬を始めるに当たり、我々もケルンの前で慰霊を行い、1年間の無事を祈り、気持ちを新たにした。

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 門倉越冬隊長、石沢副隊長、オーストラリア南極局のホージー氏による除幕

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 風雪に耐えて建つケルン
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天気が悪い
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  ここ数日天候がすぐれない。
 一昨日は朝から雪交じりの強風が吹き、夕方に外出注意令が発令されて夜半には風速30mを越えたようだ。昨日も午前中は吹雪。
 今朝も朝礼後にいざ作業へと思っていたら、外出注意令の発令。
 夏のこの時期にこんなに空く天が続くというのもめずらしいらしい。夏作業が滞って困るのもそうだが、当然ヘリコプターも飛ばないわけで、最後の輸送物資を運べず、これから帰ろうとしている49次越冬隊の人たちや昭和基地滞在中のオーストラリアのスタッフは足止めをくっている感じだ。
 吹雪の後は、車のエンジンルームまで雪がつまり、そのままエンジンをかけても回らずに壊してしまうため、機械隊員の雪の掻き出しから始まる。 車が壊れたら作業がストップして予定が大幅に狂ってしまうので、かなりの注意が必要だ。
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初大陸
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 夏作業の合間をぬって、49次隊の前任者からルートの引継ぎを受けるために大陸に行ってきた。
 昭和基地は大陸から4km離れた島にあるため、海氷を渡らなければ大陸にあがれない。夏のこの時期は海氷は不安定なため、大陸へのとりつき地点の「とっつき岬」にヘリコプターで飛び、そこに停めてあった雪上車を立ち上げて、内陸旅行の拠点となるS16ポイントまで氷河上をたどる。
 途中クレバス帯を避けるようにルートが延びているので、そのルートの引継ぎだ。
 ようやくたどりついた南極大陸は大きく、天候にも恵まれて有効な引継ぎを行なうことができた。
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昭和基地到着
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 オーストラリアの観測船・オーロラオーストラリス号を飛び立ったヘリコプターは、一面氷に覆われた海を眼下にしながら大陸方面に向かった。 氷に閉じ込められた氷山が陽光に輝いている。 やがて、大陸の手前に茶色い地肌をのぞかせたオングル諸島が目に入ってくる。 ヘリコプターは東オングル等の上空で旋回し、昭和基地の建物群を眺めているうちに高度を下げ、ふわりと地上に降り立った。 横断幕をかかげた49次隊の人たちと先に基地に着いていた50次隊の隊員たちの出迎えを受け、ようやく昭和基地にたどりついた。 日本を12月25日に出発し、オーストラリアで準備をして30日に西オーストラリアの出航、2週間の船旅の経ての昭和基地入りだった。昨年日本の南極観測船しらせが退役し、新しらせは今年の秋に就航するため、オーストラリアの観測船をチャーターしたため、輸送人員と物資に制限があり、例年2ヶ月近くある夏作業期間も2週間強と短いため、基地に着いてからの夏作業は大忙しだ。 短い夏の期間にやらなければいけないことは山積みで、連日土木建築作業に従事している。 さながら職業体験学校にでも入ったような感じだ。 国内のどこかのダムの工事現場に住み込みで働いているような気にさえなってくる。
 こんな感じで南極での生活が始まった。
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<出迎えてくれた49次越冬隊員たち>
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